天皇への3つの質問
今日天皇は石川に来た。第66回全国植樹祭のため。テレビ・新聞はハッピー・ハッピーの顔、旗を振っている人をばかり見せている。我慢ができなくて、天皇に質問を3つをする:
1. 石川県の自然と新幹線
木場潟での式に参加した。その時木場潟、白山、キレイな花などをを褒めた。この美しい環境はこの次の一年間の間新しい新幹線のため壊されているときっと知っている。木場潟の20mの近所に、15mの高さのコンクリートの壁になるって。工場のとき、木場潟と全ての周りの自然は大損害を与えるのもきっと知っている。その後今の美しい木場潟公園は変わって、うるさくて、自然ではないことになる。
それと、この今作られた線の計画は35年前に建てられているのは、それも知っている?あの時人口も、使い方も、全部違う感じだったけど、今、再評価なしで、そのまま作られている。地元の人も聞かれず、そのまま作られている。それ全部知っているはずだね。
でも、知っているのに、自然を褒めて、自分のこと国民の天皇を読んでも、それを止めるために、一言も言えない?
2. 福島と原発
あなたは研究者じゃない、残念ながら。でも、あなたの位置研究者の圧倒的にネガティブな研究と意見をよくしっているはずだ。特に地震が多い日本に。今まで東北の人々何千人、もし何万人もこの大変な結果を苦しんでいる。地元へ行けないし、土地が放射能汚染、将来も壊されている。きっとこの国に行っている原発再開の活動をよくしっている。でも、これまで最終核廃棄物貯蔵所がないし、長期核廃棄物貯蔵所もないし、中期核廃棄物貯蔵所もないし、この核廃棄物って、どうするかな?地震、津波などの話ししなくても、今この国の中の放射は、何百、何千年残っているぞ。僕らは皆それと生き続けないといけない。
それ全部を考えると、何で一言も言えない?エネルギー・シフトに対して、もう少し活動をできない?
3. 歴史と責任
最後に、世界も、僕らも、ちゃんとした第二次世界大戦の歴史の対処を待っている。韓国と中国と都南アシアに行った虐殺の帝国主義の責任は、これまでだれも認めていない。ドイツとオーストリアで行った「Geschichtsbewältigung」はそれです。自分がやったことを認めて、責任を受けるのは。そのかわり、全国で、特に沖縄県で戦争を続いている、軍基地がずっと広げて、そこの人間権利が失って、平和に向かっていない。いつ必要な言葉と行動をするつもり?
残念ながら、天皇はこれを読まなくて、返事もないのは当たり前のことだけど、この今日の笑顔で旗を振るのと脱魂みたいなミーディアをみると、皆は本当の世界の前に目を密閉すると我の感じだ。天皇をみるだけで幸せになって、健康になって、将来にうまく行くのを考えながら、現在のひどい状況をみないように。我慢できない。
天皇、あなたは能力と機能があるので、花を植えると甘口の話をするのは、足りない。起ち上がって皆に知らせて下さい。この国とここの人々は値する!
追伸:2015年5月5日に、Mauthausenの解放の記念日の時、オーストリアの作家の「Christine Nöstlinger」の講演だ。戦中と戦後の話。日本は、この様な活動はどこ?
旗振ってる人の大半は、天皇のこと深くは考えてないと思うよ。ミーハー心理なだけで。日本人はオルデガの『大衆の反逆』に書かれてるような人が多いんだから。
敗戦後、象徴としての天皇制を存続させたのは、GHQの高度な政治判断だったと評価してます。中国の鄧小平が対日領土問題を不問に付して、対日経済交流を優先させたように。現在天皇は象徴的存在として終始しているのだから、政治的影響力は一切ない訳で、Norbertが書いていることを、天皇に答えを求めてもなんも意味がないよって思うよ。
竜士さん、コメントありがとう。でも、同意していない。天皇がa政治的な事を言えば、聞かれていると思う。もちろん、直接の影響与えられないけど、日本人の意見を変更力が強いと思う。オーストリアの「president」は同じく、本当の政治的なc力が持っていないけど、はっきり自分のa意見を言って欲しい。
明治憲法と戦後憲法の大きな違いの一つに「統帥権」の有無があります。これは軍隊の最高指揮権を意味し、明治憲法下では天皇に付されました。この統帥権が陸軍に濫用されて日本を中国侵略、太平洋戦争へと持って行きました。
戦後、アメリカ等の連合国は、東京裁判にて軍の最高指揮官である天皇を何故審判しなかったのか?なぜ東条英機や広田弘毅が処刑されなければならなかったのか?ここに高度な政治的判断があったと見ています。
天皇はこのことをよく頭に叩き込まれているのです。
昭和天皇自らが決断して戦争を指揮したことはなかったでしょう。ただ天皇を利用して「統帥権」というものが濫用され続けたことがいかに恐ろしいことであったかを一番感じていたのは昭和天皇自身だったと思います。敗戦後、昭和天皇は処刑されても止むなしと考えていたようですが、そうならなかった。それ故「象徴」に徹してきたのです。政治的に全く利用されない立場を貫いてきたのです。これも高度な「政治的」判断だと思います。
戦後70年。天皇というものはどうあるべきなのか?僕は「象徴」でいいと思います。今さら大きな変更をする必要性を感じないからです。
そう思いません。日本語を確認できいませんけど、憲法のとおり、「Promulgation of amendments of the constitution, laws, cabinet orders, and treaties.」も書いてあります。それに別にしても、自分の意見を述べるのは、特定の政治思想tとしても、禁止されていないと思います。最後に、第日世界大戦争に対して、彼だけ行為aがやっていません、天皇制責任を受けていません。
竜士さん、どのような象徴ですか?何の象徴ですか?象徴はそのままが意味ない。象徴いつも何に指示する。この何はなんだろう?
象徴天皇制 – 日本国憲法第1条では「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」と規定される。とあります。
これは戦争の前と戦争の時の機能を無視にすることです。
そのとおり。現憲法下では主権は日本国民にあるのですから。戦争時の機能である天皇制および統帥権を「無視」というか「消滅」しなければならない。
Norbertは、天皇はどうあるべきだと思ってるの?
今の世界ならば、天皇の機能は道徳的な理想だと思う。従って、大きな道徳的じゃない活動を見るたびには反応を期待してる。
日本史上、天皇あるいは独裁者が政治の実権を握ると必ず動乱の世となるようです。日本というシステムはワントップを無意識的に好まないようです。ここのところを日本のユング心理学のパイオニアである河合隼雄は『中空構造日本の深層』にて語りました。参考まで以下のサイトを読んでみてください。
http://1000ya.isis.ne.jp/0141.html
さて、明治国家で天皇制が作られる前の江戸時代では、天皇(帝-みかど)は京都の人々に「ごっつあん」と呼ばれていました。これは帝の住む場所をさす「御所-ごしょ」さんから来ているようです。Norbertのことを「のっちゃん」と呼ぶような感じです。江戸時代、お膝元の京都市民でさえ天皇のことをニックネームで呼んでたくらい「軽い」存在でした。
政治的にも全く意味をなさない「軽い」存在であった帝を政治の表舞台に立たせたのは明治政府でした。360ある地方政府を中央政府に一本化するための「重し」になる存在として利用したのです。
これをさらにドイツ皇帝のような重厚感ある存在である「天皇陛下」にしたてあげたのが山県有朋でした。この作られた「重厚感」をたくさんの人が利用した結果、「統帥権」の濫用につながりました。このへんについては司馬遼太郎の『この国のかたち』に詳しいです。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%884%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8F%B8%E9%A6%AC-%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4167105640
何が言いたいかというと、「天皇陛下」という存在はたった100年ほどしか存続していません。その前は「ごっつあん」でした。現在その「天皇陛下」は政治的影響力をもたない「象徴」へとアウフヘーベンされました。それでいいのです。道徳的影響力すらいらないと思います。